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目を覚ますと、既に正午を回っていた。

ぼんやりと、以前インドに運ばれた時の事を思い出す
あたしはどうやら、死ぬと感じた時、
無意識に胸の十字架のネックレスを握りしめるらしい
日本で運ばれた時も然り。

そんな事を思いながら、食料を求め外を歩く。
カトリックが多いMXではやたら教会ばかりが目につく。
ふと中に入る。
高い天井と壁画。それに伴う聖人たち。
祈りを捧げる人たちは何を祈っているのだろうとか考える。
パレスチナで見た、悲痛な祈りを捧げている老婆を思い出す。
あたしはずっとその祈りが終わるまでその姿を見届けた。

あたし、知ってる。
幻想や理想は、現実になった途端幻になる。

現実が見えて知ったことは、
あたしが到底理解できなかった価値観。
触れてみようとそこに手を伸ばす。
しかし、グアダルーペのマリアは俯いたままで、
決して答えを教えてはくれない。

命乞いをする姿にも、何かを許す姿にも見える。
そしてそれらを求める人は、必ず同じ姿をすることも。


すっかり食欲が失せ、喉ばかりが渇く。
高度の高いこの国は常に乾燥していて、脱水に似た頭痛に襲われる。
道沿いに聳え立つ有刺鉄線に囲まれた小学校。
車の渋滞。広場でサッカーをしている子供達。
昨日の夜に見た砂漠だらけの風景とは違い、ちょっと移動すると
普通に生活をしている。ここでもやはり、
住宅街は厳重にガードされ、入り口には必ず警備がついている。
かと思うと、誰もいない荒れ果てた風景に早変わりする。

夢でも見てるのかと、白昼夢みたいな感覚に襲われながら
まだ頭痛が収まらないあたしは、炭酸水を買い込み、宿に戻る

写真や聴取したこと、伴うニュースをまとめていく中で、
どんどん冷静になっていく自分の姿を見る。
なんの同情も感情も起こらない、閾値。

MXの文化的に、死は悲観だけで占められているわけではない事も。
他の文化に触れてみた矜持。
疑問なんて馬鹿らしい事なんだと思い知らされそうになる。
絶対的な価値観は、生まれた環境によるものが多くを占める。
文化や風習に「敬意」を払った殺し方。なんて言われても、
あたしは、どっかの神の名のもとに殺戮を行う人達と同じだろうと
苦笑いをするだけ。

以前、事件現場の写真を見せて貰った時に、
ボラト゜ーレスの儀式に倣い、逆さ吊にされた遺体を見た。
文化や風習、決まり事はすべてそのまま殺害や拷問に適応されていた。

明日は我が身なんだという事が身に染みて解っているのに、
それでもいいと思っている自分に気づく。
痛いのは嫌だけど。
振り返ってみると、案外後悔も多いものだと気づく。

祈りを捧げていた老婆を思い出しながら、
ある人の事を思い出す。その人が放った言葉を聞いた瞬間、
車の助手席に乗っていたあたしは思わず振り返り、沈黙のまま
その目をずっと見ていた。その瞬間、
完全に眠っていた言葉や表現の「感覚」が戻り、
そしてその瞬間恋愛感情を持った事も。
お礼を言わなきゃいけない、言いたい。
なんでそれを伝えなかったんだろう。チャンスは一度しかなかったのに。
そんな後悔が蘇ってくる。

後悔って、二度と戻らないからするんだよね。

今までのあたしはそうはさせなかった。
何を犠牲にしてでも身勝手に生きてきたから。
衝動を抑える苦痛より、行動した方の苦痛のほうが耐えられたから。

今はそうはいかない。
あたしの後悔はどんどんこれから増えていくのだろう。

なんて意識がそれたまま、次の行先の地図を見る。
そこは、誘拐事件の多発地域として事件が多い場所だ。

次の仕事が済めば、帰国だ。と、帰国できる確信のもてぬまま
うわの空で、首につけた十字架を弄んでいた。






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MXでの生活 ⒈

優しい人にはメンヘラや依存体質の人が寄ってくる事が多い。
それに対して親身になったり同情を与えたり、優しくする。
与えられた側は、それに付け込んでどんどん依存していく。

そして、相手が疲れてしまって手を放す。
そしたら裏切られただの見捨てられただのと叫びだす。
立派な加害者と被害者の出来上がり。

白昼堂々、街中で怒鳴り喚き散らしている女と、疲れ切った男が
目の前のファヒータと、テーブルに散らばったサルサを間に挟み
言い合っている。周りの人は目もくれず、店員は客と話し込み
隣の犬は落ちたタコスを食べている

目の前の喧嘩の内容は知らないが
男女は、どこでも同じだな。と、
そんな姿を見ながらあたしは最高に晴れの日、
眩暈がするほど葉巻の煙を
一気に詰め込んで、空に向かって吐き出した

風に溶け込む煙さえ愛しく感じるくらいテンションが上がっている。
こんな日はBGMもかけず速度を上げて海辺に車を走らす。
すべてが愛に満ちる瞬間が好きだ。
このことを伝えなくちゃいけない。と変な使命感が湧く。
この景色を共有したいと思ってもここにはあたし一人だし。

現実や真実を見れば・知るほど酷くなっていく空想
もはや、ちょっとやそっとの残虐さより、薄化粧で漂ってる
どろどろとした人間模様のほうがよっぽどえげつない。

現実より作り物のほうがよっぽど美しい。
止まるところを知らない加工技術に、創作。
みんなどんどん現実を加工・偽装するようになって
元からそうであった様に振る舞う技も完璧
偽りだらけに疲れても、何が真実かすら判断できなくなり
何かを考えたりすることもメンドクさくなり、内向的な性格に拍車がかかる。
与えられた情報だけを自分の都合の良いように解釈・鵜呑みにする

こんなんだからあたしは海とか、変わらないものに救いを求めているのだろう
何も話さないし、考えなくてもいい
海の青さを眺めていると、何もかも忘れられる。あたしの現実逃避

あたしはある人を探していた
海沿いの180号線を過ぎ、ciudadvictoriaに着く頃には
人通りも明かりもまばらになっていた
「死の道」と呼ばれる国道101号から2ブロック程離れた宿に泊まる

噂によると、「その人」は24時頃、青い鳥の絵の描いてある
長い看板の靴の店の前に現れ、滞在時間は5分程度だという
この街には一週間程度滞在。その間に会えるかどうかすら解らない
まだ、ピューマとかの方が遭遇率はあるんじゃないかとか考えたり。
なんせ相手が本当に存在しているのか。生きているのかすら判らないから

大体一週間いたら二日。治安の悪い街なら毎朝、死体は見つかる
夜中から明け方に掛けて。1-4時の間に犯行は行われるらしい
あたしなんかがそんな現場に出て行ったら、一発で終わるだろう
そんなことを考えながら眠りに落ちる

朝から情報収集、撮影、調査。標高2000m以上にもなり、
酸素が薄すぎて窒息しそうな上に、頭痛・吐き気・鼻血の毎日
更に酒の回りも速い。お陰で節酒り日々が続く

探し人を見つけられぬまま四日目

殺伐とした街は、週末に向けるにつれ治安がより悪くなっていく気がした
昼間、道ばたで何かしら遊んでいる子供に声をかける
その女の子は赤い花を手に持っていたが、びっくりして落したまま
逃げて行ってしまった。そりゃあそうか。怪しかったか、あたし。

麻薬カルテル抗争の絶えないこの街・周囲近辺は
親を殺されたり、家族・親戚もろとも消されることなんてざらになっている

二年前、最初にあった遺体は、11-13歳位の女の子。
手には子供用の携帯と、ピンクのTシャツに何かしらのキャラクターが描かれて、下はショートパンツ。
その姿は、どこにでもいる小中学生の姿と何ら変わらなかった。
頭に銃を受けていたこと以外は。
母親は自宅玄関で同じく撃たれていた。
あたしは、娘の遺体を母親が見ることなく終わったのは
唯一の救いだなんて、すっとぼけた

その事が一気に蘇ったが、あたしはもうすでに感傷や同情を
シャットダウンし、自我を放棄することなんて簡単にコントロールできる位
頭がおかしくなっていた。越えたくない壁なんてとっくに越えていた

なんかの曲にあったように、こんな俺でも愛してくれるかい
って、両手広げて話しかけたくなる
あたし以外の誰かになることで、崩れそうになる何かを保っていた。

何日も、同じ場所で滞在していると外国人はスパイを疑われる
ジャーナリスト狩りなる現象も各地で起きていた。

もうね。人種とか、政治とか、宗教とか。
「混ぜるな危険」「触るな危険」なんだよ

異国の人種・違う思想が入ってくることで争いは起きる
異国の地の人間が入るとどうなるか
その災難がついにあたしに降りかかる

「洗礼と警告」
ホテル前にぶちまけられた血
このホテルに何日も滞在している外国人はあたしだけだ
見つかるのが早すぎたのか、目立つ行動はしてなかったつもりだった。
噂でしか聞いたことのなかった、お前を狩る。の警告
やばい。と声にも出せず
全身に戦慄が走り、部屋には戻らずそのまま車に乗り込み
これ以上ないスピードでアクセルを踏んだ

血を見、ありったけの憶測と最悪の事態を悟ってから
全てがスローモーションに見えた。
車までの距離が、遥か遠くに感じ、走る足は夢で追いかけられているかのように
もたついて、一向に走れないあの感じ。

車のカギが見つからず、部屋に残してきた可能性がよぎり
叫びそうになった口を必死で抑える
やっとの事でバックから見つかり、エンジンをかける。
ひたすら大通りを探し、本能的に北を目指した

車を壊されてなかったのと、部屋に戻らずに済んだことで
殺されずに済んだ。
としか考えられず、ひたすら走る

この土地の癖があって、逃げようと逃げ込んだ地が
更に地獄という事がある。アメリカとの国境に近くなればなるほど
治安も悪くなる。

少し冷静になれた頃、まさに火に飛び込む夏の虫となるとこだったと
踵を返し、MXCに向かって200kmほどガソリンが持つ限り走った
暗闇を避けるように海側へ

着いた先は、小さな村とも呼べる街のようなところだった。
砂漠に囲まれた、孤立した集落。ザ・メキシカンな感じ。
シティの方とは違って、色鮮やかに彩られた家などはなく、ダウンタウン
のような昼間なのに夜を纏った集落だった

日本の部屋は綺麗すぎる。
まるで自分を繕うようなインテリアに個性を誤魔化したり隠したりする
整いすぎた無個性さ。無機質さ。
それとは真逆に、余計な飾りはいらないとばかりに、荒れ果てたモーテルに着き、
500mlの水を一気に飲み干し、倒れるようにベットに横たわる。
それでも喉が渇いて仕方がない

ここまで来れば大丈夫。
と、外で鳴り響くパトカーのサイレンを聞きながら
脳裏に青い鳥の看板を思い浮かべながら
靴も脱ぐもできず眠りに落ちた











告知と、これからのこと



はい、珍しく、告知ー!!
そして、久々のブログ!忙しいという言い訳を盾に、
逃げてたわよ!!

さて、ツイッターでも告知済み短編映画の出演のお話し。

2016.2.11 (祝)、中目黒Tryにてライブ、上映予定。

1部 1410~、 2部 1730~

2部の舞台挨拶に出る予定。色々楽しめるようになってるので
ぜひいらっしゃーい!!

というか、、、俺の訛り問題、、
本番では大丈夫なのにアフレコで訛りまくるという大失態。
菊花ちゃんにバシバシイントネーション指導貰ったのに、、
あー、、、まあ、楽しんで見てくれたら笑

これでしばらく、表に出る仕事は、一段落して
また昔の左京君に戻ろうと思う。
なぜなら感覚が戻ってきたから。

長い長い。いわゆるスランプとかいうやつかな?
海外から半年たって帰ってきたら、
感情も言葉も生きる気力も無くなって帰ってきたあの日を
思い出す。
その時出会った仕事に救いを見出し。

人の人生を担う事だとか。人のためにしか出せない力だとか。
色々なものを学んで、得て、失うものもあった。
感性とか、俺の自我とか。

それが、パンケーキ焼いてたらリセットされた笑
で、カッとなったついでに腰まであった長い髪を
ジャキジャキ切ってたよね。
もう俺自身が、女である必要はない。
赤髪も、長髪も、終わり!!見納め!!

PTSDとかどうでもいい。
俺の前頭葉は、帰国後、萎縮してた。
どうやら俺は無意識なうちに恐怖やストレスを体感してたらしいね。

そのリハビリ期間ももう終わり。
この公演が終わったら、また経つ。
その為に今、死に物狂いで動いてる。6月には一度東京帰る予定。
さて、半年でー7kgになった病的な体もいらないし。
食べ物への関心は薄れたままだが、なんとか戻さないと。

最近良く、昔のことや人を思い出す。
毎日毎日夢に過去と現在を見る。

会いたい人達に会うことも、会えることもない。
伝えたい言葉も、決して伝わることはない。
俺が叫びたい感情も、言葉として届くことはない。
もうとっくに色々な事を受け入れられてる筈なのにね。

色々な感情を殺しまくって、
色々な記憶が薄れていく中で、
その感覚だけが残っている俺は、もう狂っているのかもしれない。

もうそろそろ、その答えがでそうなところ。



フリーダカーロ。

フリーダカーロ。あたしはその名前に敏感だった。
高校生の時に友人が呼んでた本を読み、まず彼女の歴史を知った。絵を見たのはその後だった。
絵を見た時の衝撃。それはフリーダ自身の感情を「的確」に。深く、確実に。
そして現実をありのままに描いた、強烈な印象を与え、残像を残させるものだった。

なにより、感情を激しく突き動かすほどの「本能」と「現実」と「苦痛」の再現。
痛みと苦痛、混乱、愛、憎しみ、憎悪。そして、希望。

彼女の身体障害のことや恋愛沙汰が多くクローズアップされている風潮。
苦悩に満ち溢れた人生の女性。を象徴したものが多く、それは彼女の絵が憶測を掻き立てていることには違いはないのだろう。
実際に彼女は病とともに生きていたのだから。

痛みの描写が激しい分、「人生万歳」の西瓜に文字が刻まれた絵に見た、
「希望」に心を抉られる。

彼女が残した、「出口が喜びに満ちてるといい。私は戻りたくない」

そこに死にも希望を抱いてる姿があり、全人的苦痛からの解放を願った姿を見た。
人生に於いて彼女は、苦痛に満ちた人生の中でも、決して希望を捨てなかった。
そう疑うこともなく信じている。

そこにあたしが見た絶望と苦痛が重なり、それは様々な痛みを呼び覚ました。
意識を失う前に見た、眩いばかりの光。

やっと、これで、楽になれる。

希望に満ち溢れ、苦痛からの解放に。
視野が狭くなる中でも、あの時見た光を忘れる事はない。
きっと、フリーダ自身が見た光。希望なのだろうと勝手に思っている。

今回、彼女の遺品に向き合ったドキュメンタリー映画を観、
彼女の遺品を公開することにより、彼女は再び蘇った。

彼女は、神ではなく「ひとりの女性であり、人間である」
ただそれに尽きる。あたしの中でも神格化することはなく、
的確に自分の痛みや感情を相手に伝えるだけの「表現」ができるアーティストという認識は変わっていない。

最初から、映画を観るには覚悟が必要だった。
それはあたし自身の痛みを呼び覚ますきっかけになることは解りきってたから。
案の定、生と死、女性と人間の重圧と自らの身体的苦痛と精神的苦痛のフラッシュバック。
なにより、「生きる」強さ、遺品が語り掛ける存在感に彼女の苦痛と希望を感じ。
きっと夫リベラが「自分の死後15年は浴室を開けないでくれ」と言ったフリーダへの
愛と独占欲、嫉妬を感じ、そこにふたりが築いてきた歴史を感じ。

最近立て続けに末期がんの患者さんを看取っていたために、その患者さんたちの苦痛と闘いを思い出し。
最期まで、死にたいと嘆き、声が出なくても涙で訴えていた患者さんの
切実に死を望んだ苦痛からの解放と訪れた苦痛からの解放に、救いを見た姿を思い出し。

今まで抑えてた感情や、ごまかしていた苦痛の箍が外れて。
家に辿り着いた瞬間涙が止まらなくなり、過呼吸を起こす。

普段から感情を抑制し続けて、死んだ感性と。
目の前の生と死を見続けた後遺症ともいうべき、「慣れ」と。
無意識に死んだ感情が一瞬にして蘇る瞬間、あたしは生きているのだと思う。

まともに生きることもできず、死ぬことも失敗したあたしは、
フリーダの強さに打ち拉がれながらも、まだ人生に希望を感じていたいのかもしれない。

奇遇にも、このブログの最後の記事がメキシコで。
そしてメキシコに始まった。

重い腰をやっとあげてブログを書くことが出来た。
それはあたしが衝動を文章とか、写真でしか表現することが出来ないからなのだろう。

感情と葛藤と変な正義感に塗れた文章や
以前の様な写真が撮れなくなってどれくらいたつのだろう。
まあ、それはそれでもういいのかもね。

Dominant



充分過ぎる光を見た。

そんな気がした。
「もういいよ。」
そんな事すら掻き消される現実に俺は遥か彼方の残像を見出そうとする。

俺の中にあったわずかな過去の唯一の支えだった「声」すら忘れ
感情がどんなものだったのか忘れてしまった。

手を引かれる感覚なんて知らない。

それが、最近では何も。残っていない。
堕ちるも登るも全て自分で決めた事。

今までの事に後悔したことがない。
しかし、それ自体が問題だって事も。

何故ここに俺が居るのかすら分からなくなる。
この感覚を伝染させてやれるもんならしてやりたいわ。

腐りたくないと思っているうちが救いだった。
最初から詰んでいたも同じ。

痛みって、なんだっけ。
失うってなんだっけ。

一度開いた傷なんて癒えるはずもない。
ここに居れば。
見つかればどうなるかもわからないのに。

感情を経験すれば、合理的で理屈で固められるなんて思っても居なかった。

消化されなかった感情は、冷酷さと残虐と皮肉しかならない諧謔。
そんなどうしようも無いものに姿を変える。

それを諦めって言うんだっけ。

そう自分から進んで成ってきたように思う。
何を見ても被害者より、加害者の方が楽にしか俺は写せない。
失うものの大きさが、圧倒的に違う気がするんだけど、何か違う?
だから、争いが絶えない訳だけど。

感情を理性に変える。
それを経験っていうんでしょ?

背徳って、日本と海外じゃあ意味合いがだいぶ違ってくる。
宗教が無い分、日本は人が中心となる。
宗教が生活に根付いてる分、宗教国では宗教規律が原則となる。
どっちも大体、生・死という「存在」「道徳」「法律的要素」は共通している。

神を崇拝する人はそれに順ずる観念が集団で起こる。
人を現実とする避けられない日常を巻き込んでの「徳」は個人単位が強くなる。

その分、日本の「背徳」はより残酷で生々しいものと成りやすい。
反対にその分、世界でも評価の高い「徳」と「文化」を築き上げた。

個人単位での価値観が暴走するネット社会も、
無駄に規律に忠実で常識を強いられる現実社会のバランスが
取れなくなっているのが今の現状だと、逆転は早いな。
何て考えたりする。

感情と欲から来る嘘が、大嫌いなのよ。俺。

真実や事実しか、要らない。
それがどんな意味合いを持とうとも。

俺が、人の名前を聴かないのも、どうでもいいのも本当。
人の名前を呼ばないのも、覚えられないのもそういうこと。
来なくて良い所まで来たな。
そんな感覚。
何も届かないし、響かない。

頭が痛くならないうちに帰ろう。
手が届くうちに、言おう。

俺がまだ、諦めないうちに。

MXS,Fa

05MXC02 015

毎日毎日、新聞の一面を死体写真で飾り。

深夜早朝にかけて特にピークを迎える
鳴り止まないサイレンと、喧騒。

いつ迄経っても尽きない終わりの無い争いに
ここで暮らす生活や仕事、精神さえも追いやられ、
ミイラ取りがミイラになる環境。

生きる事を当たり前としない価値観に
死を死とも思わない普遍性。

いかに残虐に殺すかで評価が決まる
無法地帯に権力争い。

何故自分が此処に居るのかと言う疑問さえ
この雑踏に掻き消される。

評価の高い安定の、メヒコクオリティー。
それを求める人の為に
この争いは続いて居るのでは無いかと言う猜疑。

人を殺す事がステータスとなる世界。
此処でも「神」の名の下に人を殺める倫理が存在した。

グループによって属性の違う倫理。
犯罪集団の中でも親族や宗教を重んじてる所もあった。

家族を殺されたから殺す。
と言う「報復」。そこから見出せるものも手探りしかなかった。


共通してるのは、全て「麻薬」


この世界に倫理とか道徳は通用しない。

本能でも理性でも知性でもない。

このたとえ様の無い世界を言うなら、「地獄」か。

俺は、この成れの果ての圧迫感でこの環境に
馴染み始めてる自分の姿も見た。

薬や死体。残虐行為なんて求めて居ないし、
そこに俺の哲学なんて持ち合わせて居ない。

それが「悪」だなんて当事者でも知っている。
寧ろ「悪」だからこそ行う。

それが善も悪でもない「日常」になる恐怖。

その青臭い幼稚性の集団が国や軍を相手取った問題になる。
ある集団の最高幹部は特殊部隊出身というスペックを持ち合わせていた。

善と悪はいつだって両極性を兼ねている。
それをどう生かすかは、本人次第。
犯罪には大概が、
特殊技能や才能、秀でた技術者だったりする事が多い。

その活かしどころも紙一重だな。

なんて事を言いながら仕事を進めていた。

周りからの先入観も知識も無い事が
より平等で客観的なものが出来るなんて理想論。

その理想論を現実にする為にはやはり
何かを壊したり、無にしたり、両性の感覚を必要とした。

この事を「識る」事が何になる?
これ以上の「何」を食い止められる?

この現実を誰かなにか、変える事ができるの?

この初歩的な疑問に自分自身に問い掛ける。
俺の行動としての回答は
偏りの無い、過剰な表現を避け、直接的な映像は出さない。

それか、受けて側に植え付けの無い、
画像だけに支配されない表現の仕方だと考えている。

受け手にとっては受動的にあるがままに受け入れるしか無いから。
死体画像好きの傍観者や性癖にも俺は嫌悪するが、
世の中色んな人が居るからそれは個人の自由だ。

しかし、そこで需要と供給が安定しすぎて
この晒し上げで威嚇する集団と、
関係のない第三者が飯ウマになる現実に、
失笑するしか無いのだけれど。

変死、死体愛好家に聞きたいけれど、
それが身内や配偶者やらだと、どう感じるのか。

それで最高だとか、興奮するという素晴らしい感性だとか。
そういう人がいるのも知っている。
それはそれで面白い感性だけど、同感は出来ない。


前にも書いた通り、身内が残虐な方法で殺されたら、
相手も同じ、もしくはそれ以上に酷い方法を。と考える。
そして犯罪が犯罪を呼ぶ。

この長い争いはそんなループで続いてる気がして仕方が無い。

まあ、この無法地帯に誰が何をしようと無駄なのだけれど。

祭りから。

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とりま明るい話題から。
MXCは死者の日(お盆的なもの)より。



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全土で行われてるのだが、
本家はハニッツィオ島と言う所で、
一晩中祈ったり踊ったりで、なんでも世界無形文化財らしい。

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どこも彼処もドクロの砂糖菓子やら飾りだらけなう。
てか、各地行事がパネェ。

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犬まで塗りたくられてたり、コンドームで埋め尽くされたドクロもあり・・
はい。なんでもありです。この祭りはw

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本番には2-3km位ゾンビが練り歩く訳ですよ。
当然の如く、撮影班襲い掛かられる訳で。

道路沿いの店も悉く闘ってた。
そりやそうや、てか、店内に居なくて良かった、
ガチで怖い!!

しかも、そこら中叫ぶは襲いかかるわ、
血糊ぶん投げて巻き散らかすわ、靴は飛ぶ、
ペットボトルもお菓子も飛ぶわで、、

おまえら、、死者の日関係ねーだろ!!
って、突っ込みたくなったわ、、

最終的には、俺迄自動的にゾンビに成ってた。
めでたし。

俺も日本人だからか?何回追っかけられたかわかんねぇわ
様子はこちらからどうぞ↓

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途中、雨も降り出して、タダでさえマジで怖いのに、
更に安定かつ納得のメヒコクオリティー。

囲まれた時はガチで叫んで逃げられなくて大変だった。
しかもしつけーんだわ、俺が人にぶつかる迄走ってきやがる。

各地取材の人も同様、標的にされた挙句、
ゾンビ達に胴上げされてたw

そんな訳で交通も完全麻痺、バスの窓も血糊だらけ。
警察も凄くて、なんか戦いだったわ、マジで。


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魔除けや踊りや飾りが、入り混じり過ぎて
何がなんだか訳わからんかった。

畜生、次は参加者に成ってやる、なんて思いつつ。

そんな訳で2日間位そんな感じ。
最初から最後迄気の抜く暇も無く終了ー。

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俺、もうタコスとかトルティーヤの呪いから
抜けられる気がしない、、

まあ、無事終了したさ、、、

飛行機は乗れないし、携帯の請求凄いしで、
パリの件を合わせると14万以上の無駄打ちしたわけで、、
危険な目に会うわで、、もういやーーー!!!!!!!

空港カウンターで、暢気に
「はっはっはっ、遅すぎだぜセニョリータ」
↑マジでジェスチャーつきでこう言った。

と言われた時にはぶん殴ろうかと思った(確かに出発45分前とかだったが・・)
そんで、日時変更後、「明日は3時間前には来てね☆キラッ」
って言われて殺意わいたさ。そりゃあもう。

俺、本当普通に暮らしたい、、って100回位念じたわい。
俺、次の仕事は平日働き土日やすみのリア充になるんだ・・

メキシコとヨーロッパ各地のはまた後に。
じゃあな!!



沖縄まとめ。

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へいへーい!!ツイッターや仕事ブログしてたら
まったくこっち更新してなかったぜ!!
で、今回まさか行くとは思わなかった沖縄(初)いってきマンタ。

始まりは菊花ちゃんの夏狂いから始まる海欲+俺の毎度の発狂。
けど大丈夫、俺半年前よりだいぶまともw


0022012.9.30 048

てか、海が青いわよー!!珊瑚も居るわよ~!!
もずくも海ぶどうも食べ放題だわよ~!!

シュノーケリングとか、一生縁がないと思ってたけど
がっつり揃えてもらって(姉にw)やりつくしたわい!!


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台風の影響で、離島にはいけずも、二日目は菊花ちゃん知り合いの噂の隊長(左)が
なんと休日に島を案内してくれるとの事で。
観光+まさかの奥地の山登り!!

沖縄ってなんなの?美味しいの?だった俺だが、

いきなり滝つぼにぶち込まれたり、
滝に打たれて除霊完了!!になったり、

まさかのトラウマ、ターザンロープでアイキャンフライしたり(今回骨折はしなかったw)
隊長の心の骨折の治療したり。

とりあえず、カメラとか5分もしないうちに放置したわな。
遊びに全力で遊んで食ったわい!!


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宿はゲストハウスにて、ゆるーくダラダラして
もう少しで廃人に成るところだった。
やっぱハンモックは好き!!海近いし♥

sdcard 318 sdcard 322

早朝前の海入ったり、貝や珊瑚拾ったワイ!
これはのちの左京オブジェになる予定。

台風でまさかの一日早くの帰宅だったが、
俺、このままで良いやなんて思ってたw
この沖縄マジック、パネェわ!!

一ヶ月も居たら社会復帰できる自信が無い!!


sdcard 311 sdcard 315

帰りは、ゲストハウスの子も引き連れてきっかちゃんお気に入りの
カフェで@森の中

日付が変わる頃、オーナーの結ねぇさんの弾く三線からの~
サプライズバースディ祝いは、感動した!!
寝ぼけててぼんやりしてたけどw
いい思い出になりマンタ♥
ありがとう、ありがとう~!!!よ、まったく!!

写真らは、菊花ちゃんツイッター&ブログで!

そして、まだまだ書ききれてないブログは、
日本発つ前に仕上げたい。

じゃーねー、またねー♥


夜更けの。

0012012.6.28 021

乱雑な部屋に、むさ苦しさが増し、窒息しそうだった。

何処でもいいから出て行きたい。
遠くまで出る気力も無く、炭酸水だけを求め外に出た時の事。

妙な匂いを孕んだ空気と、あたしの何かを乱す虫の鳴き声がしてた。
自身の疎ましい感情の記憶が甦り
縋る様にカメラを取り出した。

0052012.6.28 016

何故か、空ばかり取り続けていた。
何故か、只管上を見上げていた。
あたしは、この空の色が好きだな。なんて思っていた。
それは何故か妙に明るかった。

この空に色んな感情と記憶と思いと不安が駆け巡る。
美しすぎる視野に呑まれ、それは全て脳と体に浸透していく。

この混乱の中にどう身を置くかを考えた。

あたしが表出すすべてのものが単なる痛みと苦痛の現れであって、
この孤独感からはどうやっても抜け出せない。

写真も、文章も、絵も、音楽も。


あたしは、どうしてこんな事態になったのか。
一瞬非現実的な白昼夢に侵される。

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子供の時から空を眺める度、感情を雁字搦めにされている感じがしてた。

そして自由が何なのかを知らない。その利用の仕方も。


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只管、空を眺め歩き続けた。

確かに、この足で色んな場面を駆け抜けてきたハズだけど。
確かに、この足で色んな土地を踏んできたハズだけど。
確かに、この足を色んな人が触れたハズだけど。

それらは全て一過性のものであって、決して留まる事は無く流れ。

通過した温度さえも流れていく。

何処も歩いていない気もするし、只管進んでいるだけな気もする。
まぁ、そんなんどうでも良くて、
あたしは趣くままに動いているだけ。

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古いものと新しいものが融合する場面に現実を感じ、
その記憶すら遠くなって、自分が見てきたものさえも忘れそうになって
忘れたくなくて、感情を取り戻そうとする。

絶対に戻って来ないものを求めている。
確かに失った、疎ましくも大事にしていてたもの。

あたしの表現するものは全て悲壮感を与える。
意図的なものではなくて、これがあたしの中心にあるもの。

激しい快楽は激しい痛みとなって脳を壊す。
快楽が暴走して抑制をかけた結果だとも思う。

快楽は苦痛になり、苦痛は快楽とはならない悪循環が精神を潰す。

人の居るマンションのところまで来て、やっと現実に帰ってくる。
安心感を覚え、つかの間の孤独感から解放される。

今日の夜空は吐き気がするほど異様に美しかった。
美しいものは一瞬で死んで欲しい。

そんな事を思いながら岐路に着く。
残念ながらその美しさを捉えることも出来ずに。


例の記事

ある日ネットを開いた時の事、ひとつのトピックスに目がいった。

なんでも、その検索してはいけないワードというもので、
グロ画像や虐待ブログ等、怖いもの見たさの人の好奇心をそそるであろう、
そんな内容のものばかりであった。

普段から、そういったモノを見る人の、所謂「ワイドショー好きの好奇心」にウンザリだ。

そんな事を思いながら、その中でも世界で一番残虐な(グロ)動画と定評のある戦争の映像に着目した。

イスラムを研究する中でその戦争は何度も聞く名前だったからだ。

その動画を見た人たちの書き込みには、
あまりの悲惨な光景に絶望感に打ちひしがれる人、日本に生まれて良かったと、
単純な愛国心を示す人、戦争を否定し嘆く人等が大多数であった。

私は違和感と少しの嫌悪感を覚えた。

動画の本当の目的は宗教戦争の雰囲気を醸成する目的。だそうだ。

戦争の現実を伝える唯一つの手段なのか、悪意ある流失なのか。
理由はどうにだってなるし、受け手によっても違う。

それぞれの意見はあるが、少なくともこの動画は「日本でよかった」「可哀想」なんて
間抜けた回答を求めている訳では無いだろう。

だからなんだよ、このゆとりが!なんて思い、
まして「グロ」動画と謳われている冒涜以外何者でもない
品性の無さに失笑しつつ、それは無視して本題に入る。


その戦争はイスラム教とキリスト教の戦争。(これも彼らにとっては聖戦)
抗争の発端は、ムスリムの少女がキリスト教徒に性的暴行を受けたという噂が原因だった。
この抗争により、数千人ものムスリムとキリスト教徒が死亡し、60,000世帯以上が避難したとも報告されたもの。

「噂」が戦争を引き起こしたのも驚きだが、その「噂」が引き金となり、
積み重なったお互いの緒が切れ、暴動を巻き起こしたものに過ぎないのか。

きっかけは何でもよかった。とでも言いかねない暴走の理由に、
宗教観を持たない私は困惑した。

そしてその回答も出ない。
私は、グロはいらないが、宗教動画は必要。そんな理由で再生させた。


再生してみると、敵対する人種の生首を笑みを浮かべながら掲げる姿、
原型が判らないほど顔面や体が激しく損壊された遺体、
頭皮が剥されながらも逃げる人を凶器を振り回しながら追いかける人。

掻き切られた子供の遺体を抱いて泣き叫ぶ母親。

どれも、犠牲者が「敵対宗教人」と言うだけで殺され、迫害されるという、
なんとも無実で無関係な「戦争」だった。


人間は、自分の大切な人を残虐な方法で殺されたなら、
犯人も残虐な方法で殺してやろうと、考える。

その対象が増えるほど、復讐する相手が個人ではなく集団となり、
その集団の総称として宗教に向けられる。

宗教の違いだけがこの現象を引き起こすことはない。

宗教は、別に神を崇めるためだけではなく、
皆の考えをまとめるように作られたものと言う概念もある。


だから考えが違う人種が武力によって戦うことも当然ありえる。


同じ人間であっても、環境や教育によって
互いに理解する事は不可能なのかとすら感じる。


それを遠く離れた裕福な国、日本。の事情も何も知らない人間達が
全部解った様に語る事が
ちゃんちゃらおかしく見えて仕方ない。


日本にいるからこそ考えなきゃいけないとか、酷いとか、
人殺しや戦争は絶対いけない事だと考える「余裕」がある。


その上から目線にウンザリするし、偽善的で吐き気がする。
理想論だけ掲げたくないから私は目で見たものしか信じない。


そんなの当事者でない私には解るはずも無いし、
解ったふりも甚だしい。

所詮この国にいる以上、皆が綺麗事だらけの他人事。
だったらおまえ、行けよ、少しでも「助けて」みろよ。

行動する人なんて皆無だろう。
向こうの人からすればまず、まずは宗教を信じろと言われるだろうけど。

向こうで生まれて生活を歩まないと、
彼らが何故そんなに怒り、殺すのか一生解らない。

良いとか悪いとか、善とか悪は、その土地や宗教によって違ってくる
そんな摩訶不思議な現象がこの世には存在する。


人を殺す「正義」が確かに宗教にはあるという事実。


以前私は、自身も巻き込まれた紛争の現場にて、
重症を負った子供を救助する中、私の怒りが爆発し、

「お前らの信じる全能の神ってなんだよ!!人を殺してるだけじゃねぇか!」と叫んだ。

勿論その声もかき消され、その子供は亡くなった。


宗教人でない私はそんなの知らないけど 、無視は出来ない。

人として。という言葉が通用しないのは、其処に根強い習性があるからだ。

生きている人が「死」を語る滑稽さに似ている。

私がそういう地帯に足を向けるのも間違った事。それこそ「冒涜」だろう。

私は傲慢なくらい腐っているから自分に起こっている危機すらも「他人事」に
変えてしまうのだろう。自分自身が被害にあっても、なんとも思わないのだから
本当にぶっ壊れているのだと思う。

動画を見ても、心が揺れず、ああ、あったよな。と思うし、

医療従事者である私は解剖も病態も手術も、変死も
「日常」で麻痺されてる部分は否めない。


この戦争は、両宗教の崇拝する各神を冒涜し裏切った結果なのではないか。

それが宗教と現実を見ただけの私の出す回答。

キリストは堕胎を禁じ、処女受胎のマリアをも重んずる思想がある宗教の崇拝人が、暴行に及ぶはずが無い。
とキリストを信じていれば主張も出来ただろう。

ムスリムはストイックかつ性的な事に対しては厳しく割礼の習慣までもある宗教。
まぁ、少女が暴行されたとなっては、一大事になるのも無理は無いが、あくまでも噂である。


宗教戦争。それは宗教がある限り無くならない。

人の死を無駄にしてはならない。 どの宗教にも触れられている「死」
それには、殺めないことが第一前提にあると考える私は何も解っていない。

少なくとも私は、「自分の信じている宗教のために死ねる」
事が、理解できないままで居るのだから。

神は、人を殺さない。

それは「平和な」国日本生まれ日本育ちの私の価値観。
それは憲法、法律を基準として作り上げられた日本教育にも当てはまる。

欲の上に法律が作られる。規制しないと調律が取れない程の「欲」が。
またそれは次回。



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プロフィール

sakyohidzuki

Author:sakyohidzuki
左京
S.58.9.28

いつまで経っても手負い。笑
この運動神経のなさで生き延びているのが
不思議なくらい。

現実には色んな事柄に束縛されてるのに
今まで以上に自我のまま進めてるのは
一種の諦めのようにも思う。

昔一番だったものは入れ替わり。
眼中になかったものに価値を見出し

攻撃系はすべて自分の内面に。
もちろん゛暴力゛は忘れずに。

時々感情のコントロールが出来なくなる
フラッシュバックに嗚咽が出るほど叫びまわっても
最期に行き着く場所は同じ。

知らず知らずに自滅しているのは
毎度のことで。

無関心に堕ちる前に
終らせたい事とか。

無様な姿を曝すのも
ここだけでいい


☆ポートレートモデル
再現VTR、MV、CM等々しれっと
いたりする。
ベストジーニスト2016一般部門
投票終了!
応援&投票有難う!!

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